開演前の空気が好き

舞台中心の感想置き場です。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』 ─ザファ感想と考察(シーン抽出分析風)

 

8/30のラスト応援上映に持参した徳男うちわと映画館のディスプレイ

 

2023年8月10日のレイトショーで初めて観て、帰り道で全巻セットを注文し、連休の2日で読み切ってそのあと3回映画観に行った人間の感想考察まとめです。 

 

作品概要

2022年12月3日公開

slamdunk-movie.jp

 

ハマったらやばそうだなとわかっていたので映画公開してからずっと見ないようにしていたのに、上映終了が近いからとうっかり観にいったらこのザマ(どハマり)……

スラムダンクという作品はもちろん知っていましたが、原作漫画を読んだこともアニメを観たこともありませんでした。
事前に知っていた情報としては「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」と「左手は添えるだけ」と「どあほう」のみ、あとテレビアニメ版とはキャストが変わってて笠間さんが出てるらしい……っていうレベルの知識で行ったんですがラスト号泣してました。

 

ご注意

※バスケは詳しくないです。
※初見時は原作・テレビアニメともに未履修ですが、2回目以降は原作読破済みです。上映終了してからですがテレビアニメも完走しました。
※考察っぽい感想を書いていますが、トータル4回しか観てない上メモ取ったりもしていないのでうろ覚えだったり抜けている点もあるかと思います。ご了承ください。
(レイトショーとかで空いてるとき誰もいない端っこの席取ってメモでも取ればよかったと後になって思いました……)
※作品分析っぽい書き方もしていますが、映画畑出身ではないので映画の分析方法は存じません。ご了承ください。

※めちゃ長いです。
※以下ネタバレしかないです。

 

 

 

 

 

 

この映画における最も重要なファクターは「めいっぱい平気なフリをする」

原作・テレビアニメ履修勢にとって、こちらの映画で最もギャップを感じるキャラクターといえばおそらく誰にとっても今回の主人公・宮城リョータなのは確実でしょう。
そもそも原作では過去についてほとんど語られていないし、湘北メンバーの中ではいつも飄々として余裕があるキャラクターとして描かれています(アヤちゃん関連以外は)。

今回の映画では主人公となったリョータの過去や内面を私たちは見ることになりますが、この「平気なフリをする」というワードが冒頭のソータとの1on1のシーンで提示されているからこそ、
【原作・アニメの宮城リョータは「平気なフリ」をしていた状態で、今この映画で見ているのはその内面、である】
ということをすんなり理解することができ、戸惑うことなくストーリーを追うことができたと思います。

また山王戦前夜の彩子との会話

「心臓バクバクだ」

「知らなかった。いつも余裕に見えてるよ」

の部分について、観客側と同じように彩子=湘北の仲間たちにとってもリョータの印象と内面にギャップがあることを認識するシーンになっているのではないでしょうか。

例えば、もしこの「平気なフリをする」というワードが映画でまったく出てこなかったとしたら、映画と原作・アニメとのリョータのキャラクターのギャップがなぜ生まれたのかが観客側から理解しづらく戸惑ってしまったはず。
そのため前述したとおり冒頭でこのワードを出したということが、大袈裟ですがこの映画が大成功した根底にあるとさえ言えるかもしれません。

そしてさらに、リョータが「平気なフリをする」という要素が今作のストーリーにおいても複数回登場しており、かなり重要な位置を占めていると推測できます。

例を挙げると:
a. 三井たち不良に屋上に呼び出されたシーン
  動作: 手をポケットに入れる
b. 山王戦試合中流川からのパスを受け取った後のシーン
  動作: 深呼吸・片手を上げる
b'. 彩子とのシーンから、山王戦以外でも試合中は心臓バクバクだが「平気なフリ」をしていることが明らかにされている(前述)
c. IH後に海岸でカオルを見つけるシーン
  動作: 手をポケットに入れる
(他にもあるかも?)

つまり、原作と映画のリョータのギャップについての理由付けになっていることに加えて、「平気なフリをする」ことがリョータの人生を前に進めるきっかけにもなっているとも考えられるのではないでしょうか。
(aについては前に進むというよりむしろ後退しているように見えるけれども、これによって沖縄でのターニングポイントを迎えることを考えると周り回っては前進していると言えるのではと思う)
(三井にとってもこの喧嘩がバスケに復帰する遠因になっている←この喧嘩がなければ三井はバスケ部を襲撃することはなくひいては復帰もしていない)

映画を含む芸術作品において、前提条件を冒頭でひとつ提示することで観客をその世界に誘う手法はよくありますが、それだけで終わらずそれがストーリーの重要なファクターにもなっているという構成が非常にテクニカルで、上手いなあ……と思いました。

 

リョータにとって「乗り越えるべき過去を持つ存在」としてソータと三井が対になっている

もう言うまでもないけれどソータと三井の存在は完全に対になっています。
もちろんリョータ心理的に最も大きな位置を占めていたのはソータでしたが、そのソータの喪失を乗り越えることができたことに気付くきっかけとして、この映画では湘北メンバーの中では特に三井の存在が強調されているように感じました。

共通している要素・シーンを挙げてみると:

a. バスケットゴールがある公園での1on1
b. 同じ体勢でのディフェンスと、それをリョータが見上げるという構図
ここについてはソータの回想カットも入り、リョータが三井に兄の面影を重ねていることが観客側にも明確にわかるようになっている。
c. 1on1でのダメ出し
ソータ「背を向けるな!」「向かってこい!」
三井「(テクニックを見せてるだけじゃ勝てねえぞ)」※台詞うろ覚え
d. 公園での1on1中、2人組の友人が声をかけてくる
(2回目観たとき、ここまで対にしてるのか……と思わず唸った)
e. またやろう、もう一回やろうという台詞
対ソータではリョータが言う側で、対三井では三井が言う側。
f. 一度リョータの世界(≒バスケットの世界)から去っていく
g. 去る前にリョータを傷つけてしまうこと
ソータはリョータとの1on1をするという約束を破り、三井はリョータを暴行するという、どちらもリョータを傷つけてしまうという共通項がある。
ソータが約束を破ることになってしまったのは意図したものではないが、結果的にリョータを傷つけてしまったのは事実。

f'. ソータは戻ってこないが、三井は戻ってくる
ここがソータと三井の最も違うところ。

そして最後、リョータがそれぞれとの過去を乗り越えた証としての行動が、
対三井: 信頼してノールックパスを出すことができた
対ソータ: リストバンドをカオルに渡す(pass)ことができた
の2つとして表現されているのではないかと思います。

ちなみに中学生三井の髪型が短髪なのは、リョータにとってソータを想起させるためというよりは初見の観客にここで出てきた少年と三井が同一人物であるということをよりわかりやすくするためではないかなと思いました。
リョータとしてはたとえ三井の髪が長くても短くても、シーン自体が酷似しているためソータと重ねることはできると思うので。

一方で観客側からすると、原作アニメ履修済勢からは3Pを連続で決めている時点で(あと顔で)この少年が三井であるということは明らかですが、初見だと私はこのシーンの時点では気付けませんでした(冒頭に山王戦前半で三井が3P決めるシーンが入っているから、勘のいい人ならわかるかもしれない)。
そのため、高3時点での三井にビジュアルを寄せておいた方が同一人物であるということは伝わりやすいはず。そもそも映画などでは登場人物のビジュアルは途中で変化するとしても2パターン程度に収めることが多いですが。
まあそのあと山王戦中にも出会いのシーンの回想カットが入るので、そこで履修勢も未履修勢も全員が理解できるようになっています。

また、これも推測でしかないですが、その後の喧嘩のシーンでの「そのサラサラのロン毛が好きじゃねえ」とのつながりを明確にする意図もあるのかもしれないと感じました。
(短髪→長髪へと変化したことをリョータが把握しているという表現)
(個人的にはセンター分け→長髪の方が気付きやすそうではとは思う)

喧嘩の時点でリョータが三井のことに気付いていたかどうかは解釈が分かれるところだと思いますが、個人的には映画の構成としてリョータが気付いていないとなると出会いのシーンを入れる意味(=リョータにとっての三井とソータの存在の対比)が薄まってしまうので、気付いているんじゃないかなと思うけどどうなんでしょう。

ここで考えるキーとなる喧嘩後のリョータの行動は2つ:
a. バッシュをダンボールに入れて封印したこと
b. 喧嘩をきっかけにバイクで暴走したこと

もし三井=あのときの少年ということにリョータが気付いていなかったとしたら、三井との喧嘩については「(一度や二度因縁をつけられた程度の認識の)不良にリンチされた」という意味合いになる。
いくら家庭や部活でフラストレーションが溜まっていたとしても、これをきっかけにバイクで走り出すまで行くかどうかは少し疑問が残ります。また、バスケとの関連性も薄いため、なぜバッシュを封印したのかの理由がこの物語上では不明瞭になってしまいます。

反対に、もしリョータが気付いていたとしたら、この喧嘩は「一度でも兄を重ねた存在に裏切られ、傷つけられる」という意味合いに変わります。(裏切られるというのはリョータの主観ですが)
気付いていない場合よりも数倍意味合いが重くなり、自棄になってバイクで暴走するという行動に移る理由としてもさらに納得できるのではないかなと思います。
バッシュを封印するという行動についても、中学でもバスケを続けるきっかけのひとつになったであろう三井との出会いのシーンからの落差を考えると納得できるのではないでしょうか。

さて、ここまで脚本上の理由からリョータは気付いていたという説を推してきましたが、それにしても(漫画で描かれているよりも中2三井の顔が高3三井に寄せてあるとはいえ)出会いから数年経っていて髪型も表情もまったく変わってしまっているのに気付けるのか……??とは思います。笑
逆に言うとそれくらいインパクトのある出会いだったと捉えることもできるかもしれません……

なお今回映画では三井のバスケ部襲撃シーンがカットされていますが、その理由は尺が長くなることとそのシーンのメインが三井になってしまうことに加えて、原作通りにするとリョータの反応に矛盾が生じてしまうからかもしれないと思いました。
(原作読んでて、「えっリョータは三井がバスケ部だったこと知らなかったんだ⁉︎」と驚きました)
ただ、ザファ軸でもリョータの知っている三井は中学2年生時点までのため、高校でも一回バスケ部入った上で離れている(=小暮と面識がある)というのは驚きだった可能性はあるので、完全なる矛盾ということにはならないかもしれないですが。

 

原作以上に強調される『1on1』がソータの存在をより絶対的なものにしている

小3リョータ「1on1やろう!」
高1リョータ「いつでも1on1やってやるよ」
沢北「1on1じゃ俺には勝てねーよ流川」

作中のシーンを追ってみても、1on1およびその比喩と捉えられるシーンがかなり多いです:

a. 冒頭ソータとリョータの1on1
  …ソータの勝ち
b. 浜っ子カップでのリョータとミスマッチな相手との1on1
  …精神攻撃で相手がボールを奪いリョータが負け、試合もリョータのチームが負ける
c. 公園での中1リョータと中2三井の1on1
  …リョータによる試合放棄
d. (※リョータ以外)山王戦での流川と沢北の1on1
  …一対一では沢北が勝ったが、試合には山王が負けた
e. (※比喩)リョータと三井たち不良たちとの喧嘩
  …一対複数ではリョータが負けたが、一対一ではリョータが三井に勝っている

この結果を見てみると、ソータだけが完全に勝った状態で、それ以外はそもそも勝負がつかなかったり一対一では勝ってもチームとしては負けたりして、完全に勝っているという状況は生じていません。

ソータとの1on1では、最後にリョータの放ったレイアップが入ったか入っていないか描かれていません。これは勝ち負けよりもあのシーンでシュートを打ちに行ったという「勇気あった」行為が重要なので、あえて見せていないのではと思います。
また、もしここでリョータのシュートが入って(=ソータに勝って)いたとしたら、越えられない存在としてのソータ像が弱くなってしまうという理由もあるのではと思います。(ので、おそらく入ってはいなかったのでしょう)

なお浜っ子カップのシーンでは一対一でも試合でも負けていますが、相手が持ち出してきたのはソータの話題であり、相手に負けたというよりはリョータが間接的にソータの存在に勝てない(自分を思い知った)という構図になっています。
(おじさんたちの台詞「ダメだな」「兄貴の代わりにはなれないさ」にも象徴されている)
また、その後のソータの部屋でのカオルとのシーンも重なり、ソータがいなくなってから何もかもがうまくいっていない状況を強調しています。

だからこそソータの存在が、リョータが絶対に追いつけないものだということが以上数々の1on1のシーンによってより補強されています。

なお、映画の最初のシーンはソータとリョータの最後の1on1から始まりますが、最後のシーンはアメリカでのリョータと沢北が対峙する試合が開始するところで終わっており、1on1と試合という対比になっています。
また、ソータとの最後の1on1(終わり)で始まり、試合が始まるところ(始まり)で終わるという対比にもなっています。

 

「ドリブル練習しろよ」
ソータの最後のアドバイスリョータの道を切り開く

まず、映画で描写されているリョータの練習シーンがことごとくドリブル。

ピックアップしてみると:

a. 神奈川に越してきて団地で練習しようとするシーンもまずドリブルから
b. 公園で三井に出会うシーンの直前でも、バスケットゴールがあるのにシュート練習ではなくドリブルをしている
c. 沖縄に帰って決意を新たにし練習するシーンもドリブルから始まる
d. カオルの回想内で小さかったリョータが大きくなるシーンでもドリブルしている
d'. なおホームビデオでも幼いころのドリブルの練習風景を撮られている

特にbの、ゴールがある公園でシュート練習ではなくドリブルをしていたシーンがかなり印象的でした。
ゴールがある場所って学校以外では貴重だと思うので、普通はそういう公園に行ったならシュートを練習するはず。なのにそうしないでドリブルをしているというところに、リョータがドリブルについて尋常ではないこだわり、思い入れがあることを示唆しているように思います。

そしてクライマックスの山王戦後半、深津と沢北にダブルチームされるシーンでその状況を打開したのもその『ドリブル』でした。

『ドリブル練習しろよ」という兄からの最後の教えがリョータを支え続け、困難を切り開く武器になったと思うとこのシーン思い出すたびに泣きそうになりますね……
(ここでカットインしてくる第ゼロ感が最高すぎる)

  

 

(まずは)以上です。

長いですね……でもそれだけいろいろなことを考えさせられた作品ということで!

いまいちまとまりきっていない個人的な感想が今回の文字数よりはるかに多く残っているので、そっちは別記事にして放出しておきたいと思います。

 

ちなみにこのザファ感想は先にnoteでアカウント作って投稿してみたりもしたのですが(さっさと投稿しないと無限に字数増えそうだったのと、一度使ってみたかったのです)、やっぱりはてブの方が使いやすいなという結論にいたりました。
ので、これからもこっちで投稿していきたいと思います。

最後までお読みくださりありがとうございました!