開演前の空気が好き

舞台中心の感想置き場です。

劇団時間制作10周年記念公演『トータルペイン』 ─「尊重する」って何だろう

赤坂レッドシアター。文字通り赤い……


『トータルペイン』観ました!

初日後Twitterで話題になっており、まだチケット取れたので行ってきました。
なんだかんだ、小西くん出演作品かなり観ている気がしている……

 

作品概要

劇団時間制作10周年記念公演『トータルペイン』
ーファンタジーが、崩壊の始まりだったー

‘‘当たり前‘‘が‘‘当たり前ではない‘‘
その事を知ってから数年が経った

今では事故で亡くした母の事を笑って話せる
時々淋しくなる事もある
時々今の自分を母はどう感じてるのだろうと
そんな事を考える時もある

死後の世界を信じているわけではない
かといって、全く信じていないわけでもない
言ってしまえば、別に深く考えた事がないのだ
今日までは・・・。

劇団時間制作10年ぶりのファンタジー
・・・痛みは、人を壊す

zikanseisaku.com

 

1回じゃ全部わかりはしないけど、何回も観に行く体力はない……
ので1回の記憶でどうにか考えるしかない……

という感じでした笑

 

全体的な感想としては「そう一筋縄じゃいかないよなあ」
生きたい、生きていてほしい、終わりにしたい、エゴ、尊重
人間って矛盾ばかりで、でもだからこそ人間なのかもしれないと思った。論理的思考と感情、どちらも獲得して初めて「矛盾」というものは生まれると思うので……

 

感想は観劇後すぐにメモしておいたものを元にしています。

劇場では劇団の方たちがスタッフとして接客していたりご友人とお話ししていたりして、この感じなんだか懐かしいなあと思いました笑

 

※ネタバレ注意です

 

 

 

「トータルペイン」:全人的苦痛

トータルペインとは、患者の苦痛を身体的要因,精神的要因,社会的要因,スピリチュアルな要因といった多方面で捉える概念であり,医療者は患者に包括的な全人的ケアを提供することが必要とされる。

日本緩和医療学会 苦痛に対する閾値をあげ人生に意味を見出すための精神的ケア より

 

意図された”不快”感?

幕開いてからほぼずっと声のテンション全開(特に女性陣)なので正直めっちゃ疲れたし、尖った声で耳と頭が痛かった……
もちろん、作品内容としても観客に快を感じさせるものではないので、例えば常に耳障りの良い声で喋るべきといいたいわけではない。し、「うまくいっていない家庭」の音ってこうだと思うので表現としては正しいと思う。

 

『お母さん』とは

「お母さん」、常に血だらけだから見るたびにちょっとというかかなりぎょっとしてしまった。
「お母さん」の初登場時、子どもたちがまずビビるってところがリアルでいいなと思った(ビジュアルも影響してそうだけど)。

「お母さんはこんなじゃなかった」とたびたび子どもたちから言われていたけど、これが『お母さん』として頑張ってこどもたちに隠していた素の部分だったとしたら……?と思った。
たぶんだけど、お母さんはこんなじゃなかったって言ってたのは子どもたちだけで、お父さんにそういう台詞はなかった=お母さんにこういう一面もあるとお父さんは知っていたのではないか?
「お母さん」は「お母さん」でいいのだろうか、と思ってしまった。自分のあまり綺麗でない部分を見せたくないという思いは理解できるけど、人間である以前に「お母さん」なのではと思えてしまって……
分からないけど、「お母さん」の血だらけのビジュアルが子どもたちとあかりさんの思っていた「理想のお母さん」ではない、綺麗なところだけではないという示唆だったりする?
死んだはずの「お母さん」が一番生々しいというパラドックス

 

あかりさんという存在

「お母さん」の汚いところを引き出すのには必須の存在なんだろうとは思うんだけどそれにしても可哀想な感じがした……
死にたいと思って死んだわけではないのに勝手に死んでと責められる「お母さん」と、どれだけ欲しくても子どもを授かれなかったのにあんたに母親の気持ちは分からないと罵倒されるあかりさん、かなり重なっているのでは。
役割で呼ばれている『お母さん』と名前で呼ばれている「あかりさん」の対比。
それにしても首の締めかたを調べたことがあるということは、自分が罪に問われる可能性を受け入れた上で人を殺そうとしたことがあるということ。あかりさん、いったい過去に何が……

 

お姉さん

個人的には何だかんだお姉さんに一番共感できたような気がする。
「お母さん」に抱きしめられて「あぁ、やばい……お母さんだ……」と思わず声を漏らしたシーンは涙腺崩壊してしまった。
お母さんがいなくなってたぶん一番辛かったのは喧嘩別れになってしまったお姉さんだし、お母さんがいなくなって一番苦労したのもお姉さんだったと思う。本当はお母さん帰ってきてって何度も思っていただろうにと思うと……
死が救済だとでも言うの!?というお姉さんの台詞が印象的だった。
ちなみに最初からネイルが結構目立っていたので何かあるのかな?と思っていたら「お母さん」との会話の中でネイリストになる夢をあきらめてSEになったような内容が出てきていてやっぱり……と思った。
ドライヤーかけるシーンで風になびく髪があまりにもサラッサラで綺麗で思わず見惚れてしまった……

 

はるとくん

役作り一番難しそうだなあと思った。
基本的には研修医としての知識を用いて理性的に状況を打開しようとする立ち位置だけど、「お母さん」の存在をいち早く受け入れたり、「奇跡でいいじゃん!」と言ったりと(ものによっては)非論理的なものも突っぱねていない。
お父さんの治療について「俺は医者としていればいい?家族としていればいい?」と泣くかと思えば、「お母さん」が早く未練をなくせる(=消えられる)ようにやり残したことリストを粛々と進めたりもするという矛盾を抱えている。
「よし、この項目も半分くらい達成だね」(うろ覚えです)というはるとくんの声が聞こえたときが観劇中一番ぞっとした瞬間だった気がする。喋っていた女性陣がそこで瞬時に静まる演出も良かった。
お父さんの抗がん剤治療をしないという選択を受け入れることも、「お母さん」のやり残したことを消化しようとすることも、一見それぞれの希望を尊重していることにはなる。けれど、尊重した結果としてお父さんは早く死ぬ、「お母さん」は「生きたい!」という思いとは裏腹に消えることになる。
最後「お母さん」の首を絞めてもう一度殺すことを選択するのは、「お母さん」がお母さんの幽霊ではないという仮定に基づいたものだと思うけど、それにしても母親の姿形をした存在の首を締めることができるって相当だよな……と思う。
相手の意見を「尊重」することは、それによって引き起こされる結果に対する責任から自分が逃れることにもなるのだなと感じた。

 

お父さん

「何で俺たちだったんだ!」と声を荒げるシーンが印象的だったし、そこで一番泣きそうになった……
事の大小にかかわらず、おそらく人間誰しもが「何で私が…」と一度は思ったことがあるはず。

 

終わり方えぐい……

生きている側から「お母さん」が見えなくなり、でも「お母さん」からは生きている側が見えているという状況が、お互いの存在を必要としているか否かを表しているとしたら……
えぐ……
実際「お母さん」が出るようになる前よりも生きている側の4人は家族になっている(これはひとつの問題に直面し団結する必要に迫られたからと思われる)。
実際の理由はどうあれ、「お母さん」にとっては「もう自分はいらないんだ」とつきつけられる状況。
「お母さん」が本当にお母さんだったのかどうかはともかく、感情を持つ存在としてこれほどつらいことってないのでは……
死んでるって何?生きてるって何?という台詞があった気がするけど、最後のシーンが示唆するのは、人間の本当の「死」は「誰からも必要とされなくなる」ことなのでは……と思えてしまってきつかった。

 

小ネタ

最初のシーン、ガチでキャベツ切ってる音したからえ!?まじで!?と思ったらのちのち登場して納得した。笑

お姉さんが風呂上がりお酒飲むシーン、これ世の中的には普通なの…!?と思ったけど後で大学時代友達と飲み歩いてたという話が出てきてあ〜そういう〜と納得した。
ネイルも同じだけどこういう細かいネタがそこここに仕込んであったのが面白かった。

 

 

以上です!

かなり重くて、すぐ帰る気にもなれず、近くの星乃珈琲でだらだら感想をメモりながらごはんとおやつを食べてなんとか精神回復していました。

この作品は登場人物の誰に感情移入するかによって捉え方が全く変わってくるのではないかな……

小さい劇場でとても近い距離で、この生々しい演劇に文字通り触れることができたのは面白い体験でした。

 

ちなみに帰りがけ赤坂見附の駅に降りようとしたら某まきしまくんとすれ違った気がします。(さすがに確認できなかったしもう数ヶ月過ぎたからいいかなと書いてみました)

 

最後まで読んでくださって本当にありがとうございました!