開演前の空気が好き

舞台中心の感想置き場です。

ミュージカル「フィーダシュタント」考察・感想① ─マグナスはなぜその道を選んだか

この記事はこちらのふせったーの移植版です。

 

2023年の3月はフィーダシュタントにどハマりしてたら終わってました…

作品としても演技面でもすごくクオリティの高い舞台で初見から圧倒されました。
私は2公演目の17日にまず観劇したのですが、1幕終わった時点でこれはすごいものを観ているぞ…と思い、休憩中に翌々日のチケットをリセールで取りました笑
追いチケというもの自体実は初めてだったんですが、それどころか最後まで見終わらないうちに買い足したのも初めてでしたね…そのくらい1幕目からすごかったです。

なお最終的には行ける日程全部買い足して合計6回通いました。笑
毎回毎回まっすぐに役として生き抜いてくれる作品をリアルタイムで何回も観劇できたことが本当にありがたく、嬉しかったです。
5月の配信ももちろん観ますしとても楽しみ!

 

ということで今回はマグナスの行動について、考察寄りの感想をまとめました。

 

公演概要

「欲望に従い順応するか、全てを失っても抵抗するか。〜Widerstand!〜抵抗せよ!」
100年前のドイツ。思考や思想を抑圧された時代に、17歳の少年たちが自分の考えと大切なものを守るために抵抗する姿をフェンシングによる新たな表現を取り入れ生まれたエンタテインメント作品。

フェンシングは「身を守る」「名誉を守る」ことを目的として磨かれ、発展してきたスポーツ。
正義と友情を重視しながらも権力に対する欲望に揺れ、混乱する熾烈な時代。
数々の心の揺らぎと選択の中で少年たちはどんな道を選択するのか?

これは、真実のために命をかけて戦う少年たの成長と友情の物語。

公式サイト https://m.tribe-m.jp/Artist/index/356?m=widerstand

 

 

※以下ネタバレしかない(結末まで触れてます)

 

 

 

 

 

主にこの3点についてです。
曲名は本国版の日本語訳です。

 

①マグナスはなぜ一度クレアに従い権力を欲したのか

生き抜くために力が必要…とはいえ、その他大勢の生徒たちのように沈黙し服従したままでも生き延びることは可能だったはず。
それでもクレアの手を取ってしまったのはやはり自己肯定感の低さが要因だと思う。
マグナスは虐待されていたという幼少期の経験から、認められることへの渇望、持たざる者としての持つ者への羨望が無意識下で非常に強かっただろうことが窺えるシーンが多い。
a. 1幕冒頭の曲『僕たちの剣』でマグナスは「僕の価値を 僕の存在 証明しよう」と歌っている
b. マグナスソロ『僕の剣』(もう二度と昔には戻らないの歌)全編通して
c. 幼少期回想シーン「貧乏な方がよっぽど恥ずかしいよ」
などなど…
そのため、力がなければ大切なものを守れない、というクレアの言葉にどうしても共感してしまったのだろうと思う。
とはいえ憧れの人から君は特別だと言われ、その上それに従うことがその場所で生き延びる最適なルートなのだとしたら、たいていの人にとって従わないでいろという方が難しいと思う…
それを利用して人間を思い通りに操る手法、現代社会でもまま見られるけど本当に卑劣なやり方だ…

①-2 同時に、そもそもなぜクレアから目をつけられたのか?というところもこの自己肯定感の低さを敏感に感じ取られていたからのように思う。
要するに自己肯定感の低い人間は操りやすい。
まずマグナス自身の身体能力が高かったというのはあるだろうが、おそらく1番の理由は自己肯定感の低さを利用して忠実な人間に仕立て上げることが目的だったと考えられる。
(なお前述のマグナスソロでもう二度と昔には戻らないと歌っているところをクレアは見ている)
・ハーゲンの身体能力がもう少し高ければそちらにターゲットが移っていたことも十分考えられる。
ジャスパーは愛されて育ってそうなので論外。
アベルもなかなかに複雑な出自だが、授業で教えられる内容に納得していないことが明らかかつ、おそらくだが自己肯定感の低さよりも誇り高さと罪悪感の方が強く心の中にあることも影響していそうな気がする。
・そもそもマグナスに個人レッスンを持ちかける時点で既にクレアはアベルユダヤ人の血を引いていると気付いていた。
a. 少なくとも19日マチネ以降「君の頭の形もアーリア人の標本と言える」とクレアに言われたときアベルは「ありがとうございます」とは言っていない。(これ17日はありがとうございますって言ってた気がするのだけど確かめる術がない←ゲネプロ映像見たら言ってなかったのでたぶん初日から言ってないです、すみません。何を聞き間違えたんだろう…)
b. 謎の番号が蔵書番号であることに気付くシーンでも、アベルから受け取った本をクレアは服で拭っていた。
c. 練習中クレアが不意打ちでアベルに仕掛ける「アベル、Garde!(防御しろ)」から始まる一連のシーンでも、ここですでにクレアの中で以前授業で罵倒したジャスパーよりアベルの方が下の存在になっているように見える。
以上3点から、遺伝学の授業で反論したときからすでにクレアはアベルのことを警戒して調べていたのではないかと考えられる。
(運動をしなければ調べたりしなかったのにとか言っていたが…普通に嘘だと思う←「おとなしくしていれば」だったので、おそらく遺伝学で反論したことがきっかけなのは確定。クレア先生は嘘は言っていませんでした(ここでは))
・ちなみに優生思想、差別(に由来する暴力)というのは強烈な自己肯定でもあるので
(「生きていてはいけない人」を差別して見下すということは「生きていていい人」としての自分を肯定することでもある)
そのあたりの状況とこのストーリーがリンクしているのも意図的だと思うが興味深い。
差別による自己肯定についてはwebでも読める論文があるので詳しくはそちらでどうぞ。


②マグナスにとってフェンシングとは

前述したように1幕冒頭『僕たちの剣』でマグナスは「僕の価値を 僕の存在 証明するため」と歌っているが、ラストレイピア戦の前の曲がその曲のリプライズになっており、歌詞が「君の価値を 君の存在 残すため」になっていた(ガチ号泣した)
マグナスにとってフェンシングで戦うということは自分の存在を認めてもらうためのものだったが、最後にはアベルの行動の価値を、存在を、意志を残すための戦いへと目的が転換していったのだろうと思う。


③マグナスの最後の選択について

・フレドリッヒは自分を守ったライナーの遺志を尊重するために沈黙し二年間生き延びてきたが、マグナスはそれと真逆の選択をしたことになる。それはなぜか?
アベルの手紙に「すべて忘れて、生き延びろ」「マグナスを守るんだ」とあったけれど(台詞うろ覚え)、自分だけが守られるということにマグナスは耐えられなかったのだろうと思う。
過去に死ぬまで守るという誓いをしたからというよりも、自分がいっときでもアベルと道を違えクレアの手を取ったこと、アベルは死に自分だけが守られて生き続けるということに耐えられなかったのでは。
アベルの死の真相を知ったあとの独白でも、「もう戻れない」「許されない」と歌っている。
・その理由としてはやはり、学校の内実を知らなかったから仕方なかったとはいえアベルユダヤ人であることを知っていながら、渋るアベルを説得して入学させてしまった(と感じている)ことに強い罪悪感があったのではないかと思う。
(冒頭入学試験を受けるかどうかのやりとりで何の脈絡もなしに「誰も知らない、分かるわけがない」と言っている)(初見時何のことかわからなかった)
(アベルがクレアに「君がユダヤ人であることをマグナスは知っているのか」と聞かれたときに知りませんと言ったのもマグナスを守るための嘘だったという…泣)
・フィーダシュタント運動を起こしてこの事態を招いたのはほとんどアベル一人のせい(あとでこっちもまとめます)だけれど、その根本的な原因を作ってしまったのはマグナスがあのとき誘ってしまったからとも言える。
したがってマグナスとしては自分のせいでアベルを死なせておいて自分だけ生き延びることはできなかったんじゃないだろうか。
もちろん根本的に間違っているのは優生思想なのだが…!!
・たとえ死んでも主張してこそ意味がある、という言葉通り、抵抗すれば確実に負ける、死ぬことがわかっていても抵抗し、主張することでアベルの存在をこの世界に残そうとしたのだと思う。
ラストでいないはずのアベルが出てくるのは幽霊ではなく、アベルの意思とマグナスが共にあることの表現ではないかなと思う。
(「僕とアベルがやるべきだ!」で涙腺崩壊した…泣)
(と考えるとラストのアベルはマグナスにしか見えていないのではないかと思うのだけど号泣しててそこまで見てる余裕がなかったので次回確認します←アベル登場してすぐハーゲンとジャスパーがめっちゃ見てるのでそうでもなさそう?この状況自体がマグナスの心象風景と考えることもできるけれど)

 

 

 

と、いうことで…今回は主人公であるマグナスの行動についてその理由を考察(なのか…?)してみました。

やはり自己肯定というものは大事ですね…環境に大きく左右されるので一概に高めていこうなどとは言えないですが、せめて自分だけは自分を肯定してあげられたらいいなと思いました。道徳の授業?
他人を否定することで自分を肯定するのではなく、あるがままの自分自身を肯定できるように意識する必要があるなと痛感したとともに、このフィーダシュタントという作品で作者の方が伝えたかったことはこういうことなのではないかな?と僭越ながら思いました。(違うかもしれませんが)

それにしてもRIKUさんのマグナスが本当に素晴らしくて、毎回命を削って演じてくれているのが伝わってきます…泣
とくに21日ソワレのカテコでのRIKUさんの挨拶がとっても素晴らしくて!ざっくりまとめると
「今日で見るのが最初で最後の人もいるかもしれない。こういう作品って複数回見ることで台詞のつながりを理解できたりっていうこともある。
でも、僕たちは一回だけでそれを全部伝えられるように、すべてを込めて心の真ん中を貫けるようにこれからも頑張ります!最後まで応援よろしくお願いします!」(うろ覚えです、すみません…)
とおっしゃっていて、すごいなあと思った。
一応リセールもある舞台なのに、またきてくださいね、ではなく一度で見せきる覚悟を感じました。
こんな挨拶はじめて聞いたのでびっくりしたとともに本当にすごいなあと感動しました…

 

フィーダシュタント、考察捗りすぎて普通の感想まとめてないことに今気づきました。
正直現在アワマグでそれどころではないのですが笑、余裕ができたらまとめたいな〜と思っています。

 

最後まで読んでくださって本当にありがとうございました!