開演前の空気が好き

舞台中心の感想置き場です。

ミュージカル「フィーダシュタント」考察・感想② ─アベルを追い詰めたのは何だったのか

前回に引き続きフィーダシュタント考察寄り感想の移植版です。

 

今回はアベルとはいったいどういう人間だったのか?について考えてみました。

アベル、考えれば考えるほどやばい男すぎて全然まとまらず遅くなった上にめちゃくちゃ長いです、すみません。
(ちなみに今回はやばいポイントほぼ入ってないのでご安心ください)(?)

なお、前回のマグナス編と同様にネタバレしかない(結末まで触れてます)ので未見の方はぜひ5月からの配信をご覧になってから読んでください!

 

 

 

 

アベルというキャラクターを考えるとき、まず印象に残るのは正義を貫いてフィーダシュタント活動をし、そしてマグナスを何よりも大事に思い彼を守るために死んでいった少年だ、という部分。
しかしストーリーを追っていくと、最終的には残された少年たち4人の抵抗(フィーダシュタント)を促し(本人は止めたが)、結果的に少なくともマグナスとフレドリッヒの2人については確実に死に追いやっています。
こうしてみると、前者のイメージと後者の結果は若干の矛盾が存在するようにも思えます。
アベルとはどういう人間で、どういった理由でこのストーリーに至る選択をしてきたのでしょうか。

以下ではフィーダシュタント活動を軸にアベルの行動についてその理由を見つけていくことで、彼がどのような人物なのかを可能な限り見出していきたいと思います。

※今回はフィーダシュタント活動メインで追っているので書ききれていないこともたくさんあります。
※あくまで一つの解釈としての考えですのでよろしくお願いします!

 

 

 

アベルはなぜフィーダシュタント活動を始め、そして校則を破り学外に出るところまでエスカレートさせたのか

2幕フレドリッヒの回想にて語られるように、ナチスによる迫害(特にユダヤ人迫害)がアベルにとって他人事ではない、自身のアイデンティティーが深く関わる問題だったため。
なお、人種や属性での差別や無実の人の権利や命を奪うことに反対し、抗議したというアベルの行動は現代の人権意識に照らし合わせると善・正義とされる行動である。
しかし、その差別主義が当時の政府の提唱する正義として通用している中でそれに異を唱えるということは生半可な覚悟ではできまい。
したがって、アベルとはどんな人物かを考える際に「正義感が強い」という要素もここで入ってくると言えよう。

a. なぜ差別に異を唱えたのか

前述したように、ユダヤ人差別はアベルにとって他人事ではない、自身のアイデンティティーが深く関わる問題であったことがすべての始まり。
遺伝学の授業の時点ではマグナス、ジャスパーも違和感を覚えていたが(ハーゲンがどう思っているのかはここでは描写されていない)、その考えをその後も捨てられなかったのはアベルだけだった。
つまり他の2人は結局のところ他人事だと思っていたから、おかしいけど自分には関係ないから今のところはいいや、従っておこう、となっていたのではないだろうか。
ゆくゆくは、実は軍事学校であったこと、学校側に騙されていたことがわかったことなどなどによってジャスパーにもハーゲンにも自分ごととしての許せないポイントが発生し、抵抗運動に参加することになるが…
なお、マグナスにとってはこれらよりもフェンシングを通して自身の存在を認めてもらいたいという思いの方が強かったため、3人とは道を違えることになる。(前回のマグナス編をご参照ください)
アベルが学校の問題だけでなく収容所等についての問題にも同じ熱量で立ち向かっていたことを考えると、やはり彼の行動には出自がより強く影響しているととらえることができる。
もちろんだが、自分の家族、同胞を貶める内容を延々とさも当然で正しいことかのように「教え」られつづけて平気でいられるほうがおかしいので、アベルの疑問や思いは当然である。

b. なぜ校則を破り学外へ出たのか

アベルの死に直接繋がったのが、学外を出てしまったということ。
そもそもアベルはなぜ文書を外部に公開しようとしたのか?
これについては描写がないので想像になるが、この理不尽な真実を皆に伝えれば、たくさんの人が「これはおかしい!」と声を上げてくれると信じていたからだと考えられる。
その前段階で、実は軍事学校であることについてのビラを学内に撒いたところでも同様。
アベルは、人間の良心というものを、自分が正しいことをしていれば仲間になってくれる人がきっと他にもいるはずだということを純粋に信じていたのだろう。
だからこそ活動全体を通して「皆に伝える」ということを主眼に置いて活動していたのだと思う。
危険を冒してまで伝えようとしたのも、活動が表沙汰になる前に皆に伝えることさえできれば形勢をひっくり返せると無邪気にも信じてしまっていたからと考えられる。
ここに、大人びて見えるアベルの年相応の幼さ・世間知らずさ・純粋さ、良識のある家族のもとでまっとうに育ってきた子どもであることを感じて非常にしんどい。(これはただの感想)

実際には、実現した後者の学内ビラ撒きを経ても噂になるばかりで、活動に賛同し加わろうという者が現れた様子はなかった。これが人間というものなのだが…

(次でも書けたらなと思っていますがアベルには指導者の才能がかなりあるので状況がこれじゃなければ相当な人材になっていたかもしれない)

ちなみに他のメンバーで考えてみると、
マグナス…アベル以外の他人が自分の力になってくれるという前提がほとんどない(だからこそクレアの誘惑に負けた)ため、公開することによって仲間が増えるという可能性に気付かなさそう
ハーゲン…今の社会において差別主義が"正"であること、力の前に人間は服従することしかできないことを家庭環境から思い知っているため、公開しても何もならないという諦めに到達しそう
ジャスパー…アベルと同じ選択をする可能性が一番高い。しかし、これまでの生い立ちから周りの人たちを幸せにするためにも自分自身を大事にすることをかなり重視していそうなため、いくらユダヤ人やジプシーに友達がいるとはいえ即処罰につながることが明らかな行動にはすぐには手を出さなそう。
…なのではないかなと個人的には思います。


なお、ライナーは一体どうやって政府から目をつけられていそうな外国人記者と連絡を取っていたのかなどなど描写されてない気になる点が結構あるのだが…それは置いておきます。 


②抵抗運動をやめることを拒み、親友マグナスと決別したのはなぜか

理不尽な差別や人を恐怖心で支配しようとする行為への怒りと、過去に自分を救ってくれた親友への思いとのはざまで葛藤するアベル
このときにはもう、抵抗運動をすることとマグナスを守ることが両立できる内容ではなくなっていたからだ。
そんな中でマグナスから差別を肯定するような発言「(差別をされる)理由があるのだとしたら?」「悪影響を及ぼしてることに違いはないだろう?」等を聞いたときは本当に信じられない思いだったと思う。
ここでアベルは怒ってはいなかったように私は思えた。これは演技の感想になるが、怒りよりも悲しみを強く感じた。(特に後半期間)

これは推測を含むので間違った解釈かもしれないが、もしかしたらアベルは「君なんていらない」とまで言えばマグナスも分かって譲歩してくれると思っていたのかもしれない。
というのも、先に決別を切り出したのはアベルの方なのだが曲途中で立場が逆転し、ラストには歌詞も立ち位置も完全にアベルが捨てられた構図になっている。
そしてマグナス退場後のアベルソロ曲冒頭フレーズ
「ふたりのあの日の誓い
どこでずれたのか、はじめからだったのか…」
を聞く限り本気で「君なんていらない」と思っている内容でも声音でもない。
同じ気持ちを抱いているわけではないことを突きつけられ、深く傷ついているようにも捉えられる。
なおここでアベルがマグナスにどのような譲歩を期待していたかについてだが、
①純粋にまた仲間に加わってほしい
②賛同者が多数派になるほど増えると考え、十分な戦力になるまではこれまで通り黙認してほしい
明言されていないがこの2つが可能性として考えられるかなと思う。
どちらにしろ、自分たちの行いが負けるわけがないと思っていることがうかがえる。

(仮にこちらの解釈ではないと考えると、ここでは縁を切ることでマグナスを守ることにしたということになる。親友を失う自分よりもマグナスの安全を優先したとも言える)

どちらの解釈にせよ、マグナスと自分の安全を優先して沈黙することを選ばなかったというところからアベルの活動に対する意志の強さ、正義感(後述)の強さが窺えるのは確か。

 

③なぜマグナスを守るために死んだのか

「死ぬまでお互いを守る」という誓いを守って…というよりもはや死ぬことでマグナスを守ったアベルだったが、これもどちらかというと過去の約束を守るためではなく現在のアベルの意思で、マグナスに生きていてほしい、死なせたくないという願いから(ある意味ではエゴといえる)死んでいったとも受け取れる。
なぜそう考えたかというと、クレアとのやりとりの後でフレドリッヒという残された側の人間が止めにきたにもかかわらず、残される方の気持ちというものを考えているようには見えないから。(ここはフレドリッヒとライナー・アベル編としてあとでまとめたいと思ってます)(記憶が保てば)
自分の死後は何も知らなかったように沈黙し服従し、とにかく生き延びろと遺した点もライナーから影響を受けたのかは不明だが完全に一致する。
(自分のことを忘れてと言われることが残される側にとって本当につらいことだということを1ミリも理解していない…)

マグナスの安全を優先した理由としてはフレドリッヒに語っていた
「(マグナスに)心のどこかでずっと借りを作っているみたいだった」
という言葉が挙げられると思う。
「あいつがそんなことしなくてもいいのに」
という台詞からも、マグナスを自分の人生に巻き込んでしまったという罪悪感とも取れるような複雑な感情がここで初めて露わになっているように思える。

またこのシーンで注目したいのが、自分の前にいじめられていたユダヤ人の級友に対しての
「自分だけが生き残ってしまったようで」
という部分。(念のため補足しておくとこの級友は死んではいない)
ここでマグナスと決別したあとのアベルソロ曲の歌詞を振り返ってみると、その重さがより実感できる。
「僕に似ている人がただ死ぬのを見ていた」
「偽りの僕を演じながら どう僕は耐えるんだ」
この言葉が、実際に身近で迫害を受け傷付いて去っていった級友を何もできないまま見殺しにした経験を元にしているということがここにきてやっと分かる、というわけである。
(フィーダシュタント、脚本も楽曲もよく出来すぎている……泣)(冒頭のマグナス「誰も知らない、わかるわけがない」の台詞もそうだけど、ただの匂わせとかミスリードさせるための伏線ではなく後になってわかる伏線がきちんとあるのが本当に好きです)

したがって、ここで①アベルがなぜフィーダシュタント活動を始め、エスカレートしていったのかという点についてに戻るが、
①-aで述べた「ユダヤ人差別はアベルにとって他人事ではない、自身のアイデンティティーが深く関わる問題であったから」
に加え、
「過去、同じように自分と似た人が苦しむのを見殺しにしたことへの罪悪感」
が大きく影響していたということが分かる。

個人的にはこの「罪悪感」というものがアベルを活動に駆り立てた最も大きな原因ではないかなと思う。
自分の危険を顧みずに活動に身を投じていく姿を見ていても、あのとき級友を見殺しにしてしまった自分は罰せられるべき存在だという意識(自罰感情)が根底にあるとすれば、自分が犠牲になることに対してアベルが無頓着であることに関して、正義感を元に解釈するよりもより納得できるように思う。

なお、マグナスもソロ曲にて「もう傍観者にはならない」と、過去の経験から「何もしない」ということをもう二度と繰り返さないことを誓っている。
二人とも元になった経験は違えど、まったく同じことを考えているということになる。
しかしそれに至る道のりにずれが生じてしまったことでこのような結果になってしまった。
やはりその原因として考えられるのは
マグナスは承認欲求、アベルは罪悪感
と、それぞれ最も強く心の中に持っていたものが異なっていたからではないだろうか。
そしてアベルの罪悪感はマグナスにも適用されるため、アベルは自分の命を犠牲にしてでもマグナスを守ることを選択したのではないかと思う。

 

アベルは自分が死ぬことによって結果的にマグナスが死ぬ可能性について想定していたか

アベルはマグナスを守る、生かすために自ら死を選んだわけだが、その時点でその行動によってマグナスが復讐を選び結果的に死んでしまう(=守りきれない)ことについて考えていたのかがアベルの最後の選択に関連する大きな疑問になる。

手がかりとなるのは、ライナーの本に挟まれたハーゲンとジャスパー宛の手紙ひとつだけ。
「フィナーレ これが僕の最後の手紙
もし僕が戻ってこなかったら
※活動のことは全て忘れて黙って生き延びてくれ
僕のことももう忘れて
(守るんだ、マグナスを)」
※部分うろ覚えなので何となくこんな意味だったなの要約です
まず手紙を本に挟んでおいたのは、ライナーがその方法で手紙を残すことができたことから一番安全な方法だと考えたからだろうと思う。
内容についてだが、()内はその場にいたハーゲン、ジャスパー、マグナスの読みではなくアベル本人の声だったのが少し気になる。
実際に手紙に書かれていたのか、書かれてはいない手紙に込められたアベルの思いなのかが分からないからだ。
ただ、その後の4人の台詞や流れからおそらく手紙に書かれているのだろうとは思う。(誰かの手紙を読むシーンで、最初のみ読み手側が読む→途中から書き手の声になるという演出はよくあるし)
ということで「守るんだ、マグナスを」までを手紙の内容として考えると、これはあくまでハーゲンとジャスパーに託した願いであり、
マグナスがみずから進んで抵抗活動に参加したり引き継いだりしようとするとはアベルは考えていなかったように思える。 
もし想定していたらハーゲンとジャスパー宛には「マグナスを止めてくれ」と書くはず。
つまり、アベルはマグナスの中での優先順位において自分がフェンシングより下であることを感じ取っていたのではないかなと思う。(悲しいけど)
マグナスはフェンシングを続けるために沈黙し生き延びてくれると思っているのではないか。
また、そもそもが過去自分と関わったこと(いじめから助けてくれたこと)でマグナスをも酷い目に遭わせてしまったという強い罪悪感を持っているため、逆説的に「自分との関わりを切ればマグナスは幸せになれる」と思い込んでしまっていた可能性もあるかも。
このように考えるようになったきっかけとして、決別のシーンはかなり大きい意味を持っていたのではないかなと思う。

仮にマグナスが復讐することを想定していたとしたら、自分が生き残ることがマグナスの生存につながると考えられるのでフレドリッヒに説得された際その通りにしていたのではないだろうか。
フレドリッヒの助言に従うことができなかったのは、仮にここで生き延びたとしても「似た人たち」が苦しんでいる中で自分だけが助かっているという罪悪感に耐えられないと考えたことに加え、自分のせいでマグナスが苦しんでいるという状態を早く終わらせたかったからなのではないかと思う。

したがって自分が死ぬことでマグナスが結果的に死ぬことになるとは想定していなさそうだなと思う。
また、アベルが自ら死を選んだことにもやはり「罪悪感」が大きく影響していることがこの流れからも感じられる。


なお、レイピア戦後のアベルの幻?幻影?亡霊?のシーンは、個人的にはマグナスの心の中での出来事なのではないかなと思っているのでアベルについて書いている今回では割愛します。
(個人的には、最後の行動をアベルは望んでいないということをマグナスは分かっていた、という方向で解釈しています。)

 

以上の考え方から、
アベルが抵抗を貫いたのはナチスによる差別が自分のアイデンティティーの根幹に関わる問題だったからということに加え、過去の経験によって強い罪悪感と自罰感情を持っていたから
②「君なんていらない」とまで言えばマグナスも譲歩してくれると考えていた(が、そうならなかったことに強い悲しみを感じたとともに、マグナスにとっての自分の存在を過小評価するきっかけになった可能性がある)
③マグナスを最後まで守ろうとしたのは罪悪感という自分の感情を優先した結果である
アベルは自分が死ぬことによって結果的にマグナスが死ぬ可能性について想定していなかった

この4点を導き出すことができました。
※あくまでひとつの解釈です

アベルが表向き正義感の強い人物に見えるのは、その行動(抵抗運動をしたこと)が現代の価値観において善と判断されるものと合致していたからに過ぎず、
実際には自分だけが生き延びること・巻き込んだマグナス(たち級友)を自分のせいで酷い目にあわせてしまうことへの罪悪感がすべての行動の起点にあったのではないかな?と思います。


以下単なる感想です!

個人的には最近「罪悪感って知ってる?」って言いたくなるくらいうっすいストーリーを読んでしまう機会があったりしたのでここまでがっつり描いてくれている作品に触れられてこれこれ!!という思いでいっぱいでした笑(笑えませんが)

単なる正義感によってではなく、過去の傷が生み出した罪悪感と自罰感情に絡め取られてひとりの少年が死に向かっていってしまう様子がすごくリアルで残酷でグロテスクで最高でした。
正義感なんて時代と環境が変わればいくらでも変化してしまうわけなので…

なおこの過去の傷も差別によってできてしまったものなので、やはり根本的に間違っているのは差別主義・優生主義なのですが…

 

次回は(記憶が保てば)マグナス・アベル/フレドリッヒ・ライナーの対比についてもまとめたいな〜と思っています。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!