開演前の空気が好き

舞台中心の感想置き場です。

舞台「ダブル」感想 ─『水なんてやらなくてよかったな』が心に刺さって抜けない

舞台「ダブル」千秋楽おめでとうございました!
4/8マチネを観てきた感想です。

 

すごい舞台だった…
感想が止まらなかったのでとりあえず放出します。めちゃ長いますが、これでも削りました…笑

 

原作もパンフレットも今のところ未読です。
しかも一度しか観てないのでうろ覚えだったり拾えてない部分あると思います。
それも含めて、何も知らない状態で舞台だけを観た人間の感想の一例として読んでいただければ…幸いです…
(他の方の感想なども読んでいません)

これをアップしたらまずパンフレット読んで、原作の漫画も読もうと思います。

 

 

公演概要

天才役者とその代役という特異な関係性を鮮烈に描き、第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞を受賞した野田彩子の漫画『ダブル』の舞台化が決定。

天性の魅力で徐々に役者としての才能を開花させていく宝田多家良と、その才能に焦がれながらも彼を支える鴨島友仁。互いに「世界一の役者」を目指すライバルでありながらも、どうしようもなく惹かれあう二人の関係を繊細かつ大胆に描く。

公式サイト https://www.nelke.co.jp/stage/double/

 

 

※以下敬称略
※ネタバレしかないです
※考察っぽくなってる箇所もありますがあくまで一解釈であり、これが正しいと言いたいわけではないです(原作未読ですし…)
※途中登場する「フィーダシュタント」とは…2023/3/16-26の期間ニッショーホールにて上演されていたLDH主催の韓国ミュージカル。筆者は沼りすぎて6回通いました。関係性オタクはたぶん好みに合うと思うので気になった方はぜひ検索してみてください。5月に配信予定あります(この記事内で内容のネタバレはしてません)
※当方腐女子ですがダブルは非BLらしいと聞いていたので腐視点はなるべく捨てて観ていたつもりです
※作品の流れ順に感想並べてます

 

 

 

 

・幕開いて完全にマンションのセットだったのでこれで全編やるの!?すごいな!でも流石に舞台の話だし回転したりするのか?でも奥行き的に無理では?とかいろいろ思ったけど結果ずっとこの多家良のマンションで語られててびっくりだった。脚本すごすぎる。
マンションの状態が季節や多家良の精神状態を写す鏡としての機能も担っていたのが印象的だった。

・終演して拍手してる瞬間の感想:凄かった。ひりひりした…

・多家良と友仁の不均衡な共依存関係
ざっくり分類すると「共依存」系の舞台をフィーダシュタントから2作連続で観たことになるけど、それぞれ方向性が全然違って、観ていて心の中に去来する感情もまったく違ってて本当にびっくりした。こんなに違うもんなのかと。(どっちも刺さりすぎて困りましたが)
ダブルは2人とも大人で、でも歳の差がある(っぽい)。相手には自分がいなきゃだめだ、自分には相手がいなきゃだめだというお互いに対する依存のほかに、愛、甘え、信頼、情愛、性愛、相手を誇りに思う気持ち、劣等感、承認欲求、自己正当、優越感、などなどなどなど数えきれないくらい複雑な感情が絡み合っていて、ふたりはそれにがんじがらめになっている。
多家良にとっての友仁を考えるとき、ピュアなのか混沌としているのか両極端すぎてちょっと戸惑ってしまう。
根本的には同一化の願望が起点となっていて、モノローグで語っていたように「友仁さんになりたい」という言葉がすべてなのだろうとは思う。だが、そこから、「友達にも家族にも恋人にもなりたい」とどんどん欲望が増えていっている。原作読んでないので間違ってるかもしれないけど、こういう純粋なキャラクターって純粋かつ無欲なパターンと純粋ゆえに強欲なパターンがあると思っていて、多家良は後者なのかなと思った。
多家良は見てわかるとおり友仁に対して精神的にかなりよっかかっている。というのも、「友仁さんになりたい」という願望が根底にあるので、その思いを抱いた瞬間から判断基準がすべて「友仁がどう考えるか」になっているからだと思う(どの局面でも友仁と同じ判断をしないかぎり友仁にはなれないので) 。だから、友仁がそばにいないとどのように物事を判断していいのか分からないため、異常なほどストレスが溜まるのではないかな?と思う。
実際友仁がいなくても能力的には役者として生きていけなくはないのだと思うが、友仁がそばにいないということがストレスになりすぎて(上述したように自力での判断に労力がかかりすぎるため)人間的に不安定になり、役者としても動けなくなるということになりそう(というかなっていた)。
多家良は友仁と出会うことで初めて役者の才がある「自分」というものを見つけることができた。
しかし、友仁にとっては多家良と出会ったことで役者としての「自分」という存在を揺るがされ、自身の限界を知ってしまったのではないかなと思う。
友仁がぽろっと漏らした「尊敬されたい」という言葉からも分かるが、多家良の実力をそばで見続けることで役者としての自分を揺るがされると同時に、多家良に求められることで人間としての自分の存在価値を確認するようになっていったのがうかがえる。そこが併存してしまっているからこそ、友仁は『自分がどういう気持ちなのかわからない』と葛藤するし、もう自分がいなくても多家良は大丈夫だと言いながらも世話を大いに焼いてしまうのだと思う。要するに多家良がいないと駄目なのは友仁のほうも同じか、それ以上なのである。
つまり、多家良は友仁といることで人間にも役者にもなることができているが、友仁は多家良といることで人間としての自分の存在意義を承認・確認できる反面、役者である自己を見失う。
この不均衡さが、冒頭からラストシーンまで続くこのふたりの危うさ、ひりひりとした雰囲気につながっているように感じた。
なお、多家良の口から『好き』だという言葉が出てくるのはラストシーンだが、最初から表情を見れば友仁に恋慕の感情を抱いていることは一目瞭然。また、友仁の方も多家良に触れるときの手が明らかに何らかの感情を秘めている手だった。
(ここについては、ダブルは非BLらしいし腐女子である私の思い込みだなと思っていやいやそんなんじゃないと心の中で頭を振りつつ見ていたけど最後のシーンでえ!?やっぱりそうなるの!?と結構衝撃だった)
愛姫とのシーンもそれなりに長いけど、表情を見ると多家良は愛姫と一緒にいても限りなく孤独そうだった。一回も『愛姫』に対しての感情が表に出てくることはなかった。
愛姫ちゃんもわかってそうだったけど(『無理してそういうことしなくていいよ』のせりふとか)わかってるなら何でこういうことするのかな?と、舞台で描写されてる部分だけではちょっと理解できなかったので(尺的に仕方ない)原作読みたいなと思った。

・役者のキャラクターたち4人が劇中劇で「演技」をするところの差が大変分かりやすくバラバラで良かった。
まず飯谷、どうあがいても下手なの良すぎた笑 いわゆる劇団っぽい、声はいいけど人に聞こえるか、伝わるかどうかを意識しすぎてる読み上げちゃってる喋り。演技してるつもりの演技。無言劇なんかすごかった、喋っちゃってるとかそれ以前に、無言劇じゃなく完全にパントマイム。パントマイムと無言劇の違いを本当に感じた。
次に友仁はやはり飯谷と同系統の劇団ぽい演技。ただ、そこに血が通っているのが違うところ。でもやっぱり人に伝わるかどうかを意識しすぎてる感はある。そこに「凡人」を感じた。
九十九は実際演じてるシーンが初級の前説くらいなのだけど、案外本人のイメージと違って割り振られた仕事はきっちりやるっていう感じなのかな?と思った。情熱で芝居やってるという部分ももちろんあるだろうけど、どこか客観的というか。子役上がりというのも影響してそう。
最後に多家良、すごかった。あ〜そうそうこれが芝居ですねと思いました(何様だよって感じですが)。台詞が聞こえるかとかどうでもいい、いわゆる憑依系の演技。完全に役に「なって」いる。頭ではなく身体感覚で演技してる感じ。この役だったらどう考えるだろう?みたいのをその場で考えてやってるとたぶん飯谷みたいになる。それを全部前段階で終わらせてて(友仁の力が大きい)、役の感情だけを体にインプットしてその場で起こる事象にその場で反応してる演技が多家良の演技だと思う。
で、これを全員が意識して「普段」の役と「演じる」役を演じ分けてるということで、すごい高い水準の演劇見たなと思いました。

・轟九十九という人間、これまでずっと主役の人生を歩んできただろうにここにきて脇役が割り当てられるの不憫すぎる…
不憫だけど多家良に当たり散らしたりやばいことしてる様子が(一応舞台で描写されている範囲では)見られずにただ友仁とやるせない気持ちになってるの、地の性格の良さと長いキャリア由来のリスクマネジメント能力を感じた。

・『水なんてやらなくてよかったな』が心に刺さって抜けない。
友仁と九十九が二人で話していたシーンのラスト、鉢植えに水をやったばかりなのに雨が降ってきたときの友仁の台詞。
きっとそんなことはなくて、多家良が役者になることができたのは確実に友仁のおかげだし、友仁がいなかったら、教えなかったら多家良は今のようには絶対になっていないのだけど、確かにあんなに成長してしまった、成長しすぎてしまった後輩の姿を見ていると「水なんてやらなくてよかった」と言いたくなるのはわかる。

・雪山ドライブ映像(?)、ここだけなぜわざわざ映像で入れたのかちょっと私にはよくわかんなかったけど(早替え&小道具設置&休憩タイムだったのだろうなとは思う)、二人がいままでもちょっと境界線を超えそうになったことがわりとあるっぽいことはうかがえました。

・板の上に和田雅成がいなかった。
(出演作たくさん見てるわけではないですが)和田さんって役に自分味加えがちな人なのかなって思ってたのだけど、今回はわだまさなりは板の上に1秒も1%もいなかった。ただ宝田多家良だけがいた。びっくりした。
私個人としては、そもそも役者によって結果=演技が変わるのは当然というよりむしろ必然であり、役者自身が「自分が演じるからこそできることをしたい」と素の自分を出したりしなくても、その人が演じるからこそ、の役にはすでになれてると思ってる派なので、今回の演技を見れてよかった。(もちろん演出上の指示があれば自分の意思はどうあれやらざるを得ないけど)
アドリブの台詞とかもぜんぶあまりにも多家良だった。
特に私の行った8日マチネは会場内に虫が入ってしまって、それにともなってびっくりしたときとか皆さんアドリブ多かったのだけど、友仁が買い出しに行く前のシーンで虫に気づいて『刺すやつかも』と言ったすぐあとに多家良が『置いてかないで…!あ、スプレー買ってきて!!』と言ってたのがすごくツボでした。
特別出演: 虫ってくらい大活躍(?)だった虫さんだけど、いろいろアドリブ見れてお得だった気がしました笑 役者は大変だっただろうけど…

・最後のシーン、友仁の気持ちを理解したい、だから世界一の役者になりたい と言った多家良が人間としてあまりに無垢に思えて思わず(小さく)ため息をついてしまった。

・最後、ロフトの布団にスポットライト当たってたの気のせいですか??わざわざ当てないと当たらない位置なんじゃないかなと思うけど、妙に光り輝いてて気になった。暗示?
ちなみにこれ検索しても誰も言ってなくて私の幻覚なのか見間違いなのか本気で分からないので分かる方いたら教えてください。

・やっぱり中屋敷さんの演出いいなって思った。
舞台上、2時間っていう制限の中で、くどくせずに可能な限り多くの情報を観客に与えるのがお上手だと思う。
例えば、声が出なくなった多家良の家に愛姫が尋ねてくるシーン。家に入ってきてすぐに手を洗いに行くという動作を挟むたったこれだけで、何回も多家良の家に来て間取りを把握してるということが分かる。また、そこから二人がそれなりの関係であるということも推測できる。
あとは、これは脚本の青木さんなのかなと思うけど、多家良がサラリーマンしてたというくだり。「親戚のコネで」「職場で持て余されて」などという台詞から、演劇と出会う前の多家良がいかに無能扱いされてきたのか、そして彼自身がそれに対してどれだけ無頓着だったのかが分かる。コネで入社するということは(特にこの文脈では)普通に就活できなかったということなので、無能エピソードとしては最強レベル。おそらく漫画では多家良の生活能力のなさとか、できない人間であるところはたくさん描写されてるのではと思うけど、ここの部分を舞台の台詞として採用することで多家良がどういう人間だったのかが一発ですぐに伝わった。

・一回しか見てないから結構記憶朧げだけど、最後の『……友仁さん』『やめろ』のくだりで初めて多家良は友仁に反発したのでは…?(これ間違えてたら大分変わってくるけども)
多家良は言いたい、でも友仁は聞きたくない。
ここの友仁の反応の理由はたぶん2つあると思う。
①「自分の気持ちがわからない」から、どう答えていいか判断できないため
②いままでの多家良との関係が恋愛に帰結してしまうことを忌避しているため
『俺に愛されたくて芝居やってたのか?』などなどの台詞からも分かるように、芝居が好きで好きで仕方がない多家良を自分と同類だと認めて指導してきたわけなので、ここで目的が自分だったと分かってしまったら、芝居が好きではないということになるし、好きな気持ちを信じてきた自分を裏切られたような気持ちになってしまうからではないかなと思った。

・「愛してる」じゃなくて『好き』なのが多家良の幼さみたいな部分を体現しててなんか好きでした

・とにかくほんと「ひりひりする」という表現しか見当たらない感覚を覚えた舞台だった。
綱渡りをする人を見守っているときみたいな感覚。多家良と友仁がお互いの境界線ぎりぎりを綱渡りしてる、みたいな。
ちなみにフィーダシュタントのときはひりひりはしなくて、あの関係性から辿っていく運命に泣いてたけど、今回はひりひりしてしんどくてため息つきたくなっていた。
そう考えるとやはりこのひりひり感っていうのは、友情と恋愛の境目を見ている感覚なのかもしれない。フィーダシュタントは恋愛には(個人的には)ならないと思っているので。
ではなぜ友情と恋愛の境目にひりひりするのか?感覚的なものなので上手く言葉が思い浮かばなかったけど、恋愛になったらもう元には戻れないという感覚が強いからかもしれない。後戻りできないと思うと緊張感は増すし、それによって「ひりひり」すると感じたのかもしれない。
舞台観ててこんなにひりひりしたのは初めてだった。

 


以上です。
まとまりなさすぎますしパンフレットや原作を読んだら追記すると思います…!
最後まで読んでくださってありがとうございました。