開演前の空気が好き

舞台中心の感想置き場です。

翻訳劇「Our Bad Magnet」アワマグ考察寄り感想 ─心の一番やわらかいところに触れ合ったとしても、相手のすべてを知ることはできない

Our Bad Magnet 4/9マチネ観てきました!
内臓がギュッと掴まれているような感覚になるお芝居でした……好きです……
またまた感想止まらなかったのでとりあえず放出…!
全部載せるとごちゃつくので、観ていて気になったところを中心に項目分けてもくじつけました。

 

なお一回しか観てないのでうろ覚えだったり拾えてなかったり浅い部分もあると思います。 ご了承ください…!あとすごく部分的です!
パンフレットや各種記事はまだ読んでいません。読んだらどこか追記するかもしれません。
(他の方の感想もまだ読んでいません)

4/12追記: パンフレットやweb記事読みました。印象が変わることは(もちろんいい意味で)なかったです!というのも、どう受け取ってもいいんだなということを改めて感じたので。韓国の公演も観たい!けど、言語分からないし遠いなあ……

 

ざっくり言うとディスコミニュケーションの行き着くところ…という作品だったなと感じました。その理由も分かってしまうからこそ、どうしてこうなってしまったのと思うとつらい。

 

 

公演概要

ヒリヒリとした青年たちの孤独が、
「寂しい」という彼らの内なる声が、
私たちの孤独に響いてくる。
青年たちは痛々しいほど不器用で美しい。

舞台はスコットランド南西部の海岸添いにある小さな町、ガーヴァン。登場するのはアラン、フレイザー、ポール、ゴードンの4人の同級生たち。かつては人気観光地だったがすっかり廃れてしまったその町に、29歳になった彼らが苦い思い出を抱えながら集まってくる…。地元に残ったアラン、元リーダー格のフレイザー、ロンドンで働くポール、そして…。彼らの9歳、19歳の場面を行き来しながら、思い出たちが少しずつ明らかになっていき…。



2000年にスコットランドグラスゴーで初演以来、世界15か国以上で上演されている人気作を新翻訳で上演。劇中劇を盛り込みながら現実とファンタジーが交差し、人生の真実を浮き彫りにしていく切なく美しい青春群像劇。

公式サイト https://ae-on.co.jp/unrato/our-bad-magnet/

 

 

 

※以下ネタバレしかない
※ゴードンはゴードン呼びで統一してます

 

 

 

 

 

 

 

 

劇中寓話「空の花園」とゴードンの思い

・あとに出てくる「悪い磁石」もだけど、ゴードンの作品は非常に象徴的で刹那的で救いがなくて、私こういうお話大好きです。
・正直ラストはヘリオガバルスエンド(ヘリオガバルスの薔薇で検索!)かと思ってはらはらしていたのだけどそうではなく、観劇中の時点ではちょっと安心してた。けれど後から考えてみると、(この後に出てくる悪い磁石もまったく同じなのだが)道連れになる(=みんないなくなる)という方向性ではなく、あくまで「いなくなる人/取り残される人」の対比になっているところがその後の運命を示唆しているようで切なくて…つらくなった…
・寓話であることについて「幼稚」とポールか誰かが言っていたが、ゴードンがこのような寓話に自分をぶつけていたのは健全な子ども時代を送ることができなかったからだろうなと思う。ゴードンとフレイザー以外の家庭環境は明示されていないから分からないけど、様子を見るにポールとアランは割と「普通の家庭」育ちのような気がする。
健全な子ども時代を送ることができなかった彼ら(特にゴードン)は大人にならざるを得なかった。9歳で寓話を選ぶということ自体老成しすぎているというか、子ども時代を取り戻そうとする大人の行動に近いように感じる。
・あとこれは演技の感想になるけど、ゴードンが本当に肉屋の娘と妃に、フレイザーが皇帝に見えて本当にびっくりした。あの一瞬なのにすごく強く印象に残っていて、だからこそこの作品自体の展開が胸に迫るし、役者さんってすごいな…と純粋に思った。すごく良かった…

 

なぜフレイザーはヒューゴを介して罵倒したのか、なぜゴードンはヒューゴの首を絞めたのか

フレイザーがヒューゴを使って遊ぶところから始まるシーン。一見あまり脈絡がないが、ここでの言動を『それぞれの父親の言動のトレース』だと考えると、辻褄が合うのではないかなと思った。
・なぜかというと、フレイザーの該当シーンの台詞「お前の歳の頃には俺は生徒会長(他の表現だったかも)で…」などの内容から、どうやら父親からの罵倒であることがうかがえるから。ゴードンの言動もフレイザーと並列されているとすれば、父親の言動と考えることができる。
フレイザーはヒューゴの口を介することで、ゴードンはヒューゴを自分に見立てることで、それぞれ初めて自分の受けている仕打ちを表すことができたのではないだろうか?
言語化もできず、言動をトレースすることによってしか自分の受けている仕打ちを表現することができないというところに彼らの幼さ、子どもらしさが表れているし、同時に大人の支配から自力で抜け出すことができないということを突きつけられてしまってとてもやるせない。
フレイザーは最初ヒューゴを使って遊んでいるし、一見ふざけて罵倒したように見えなくもないが、個人的にはそうではないのではと思う。
ゴードンが「殺してやる!殺してやる!!」と繰り返しながらヒューゴの首を絞め頭と腕を引き抜くシーンもかなり衝撃的だけど、おそらくゴードンはこんなふうに父親から虐待されているのだろうと思うと凄絶で憐憫の情を禁じ得ない。(なお頭と腕を引き抜くという部分は「空の花園」の肉屋が妻を殺した方法と一部リンクしている…)
・ゴードンはフレイザーを殴って黙らせ、フレイザーはヒューゴをゴードンの手から引き剥がす。ここで彼らはその前のシーンで言っていた通りに、擬似的にお互いを守りあったと捉えることもできると思う。
・抱き合って、かなり長い間二人は泣きじゃくる。このシーンが、彼ら二人がお互いの心の一番やわらかいところに触れ合った瞬間だったのではないかと思う。フレイザーにとってこの瞬間にゴードンは「仲間」なのだと感じていたのだろう。
ただ、こうして心の一番やわらかいところに触れたとしても、相手のすべてを知ることはできない…という、最後に繋がるすごく残酷なシーンだなと感じた。

 

「ニムストン」はゴードンなのか

・全編通してすごく象徴的な要素だったと思う。
・流れをまとめると、
まず、9歳のシーンで3人がそれぞれ自分の作った言葉を発表しあう
→19歳のシーンではその当時とはまったく違った意味で「ニムストン」という言葉を仲間内で使っている
→29歳のシーンで、アランが「ニムストン」(実際考えたのはポール)を自分の考えた単語として以前の2つとはまた異なる意味で書籍(マニュアル)に載せたと言う
・この「ニムストン」という単語はゴードンの存在を投影したものと捉えられる。どんな意味かも移り変わってしまう、誰が作ったのか作った本人すら忘れてしまう。でもことばそのもの(=名前)だけは皆いつまでも覚えている。ラストシーンの空舞う花弁にも繋がってくるように思える。
でもこれはゴードンだけではなく、本当は人間皆等しく同じ。
・「ニムストン」とは少しずれるかもしれないが、4人(3人)のポジションも時代によって移り変わっているところに現実を感じた。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…
・余談だが賞金5ポンドをフレイザーの父から用意してもらうという話が出ていたのが少し引っかかった。その後のシーンで健全とは言い難い親子関係であることが示唆されているけれど、常にというわけではないようだ。
この台詞をヒントにすると、同じ土地で(ゴードン以外)生まれ、育ったそれぞれが持っている環境の違いが明白になるかも?
アラン…親の愛情: ある(19歳時点で実家住み)/お金: ある(カード買ってもらってた)
ポール…親の愛情: 不明/お金: ない(19歳で工場勤務していたこと、その後の上昇志向とお金への執着から)
フレイザー…親の愛情: ない/お金: ある(5ポンド、大学に通っていたことから)
ゴードン…親の愛情: ない/お金: ない
つらい…
・【親の愛情: ない】が共通していたフレイザーとゴードンだが、この二人のどこが決定的に違ったかを考えてみてもやはり【お金: ある/ない】に帰結するように思う。お金があった(お金を親に使ってもらえた)フレイザーは大学に行くことで自分の世界を広げることができたが、お金のなかったゴードンは既存の環境から脱出することができず、あの街で、父親のもとで、4人の友人の中でという狭い世界で生きることしかできなかった。彼の作品を見るに心の中にはあんなに広くて豊かな世界があったのに。このことが、ゴードンの選択に大きくかつ暗い影を落としたのは明白ではないだろうか…

 

劇中寓話「悪い磁石」とゴードンの行動

(・劇中の「悪い磁石」についてはストーリー的におそらく「The Bad Magnet」なんじゃないかなと思うんだけど、確証はないので原語版確認したい…!)
・作品のタイトルは「Our Bad Magnet」。この「Our」が何を指すのかを考えてみたとき、一番に思い浮かぶのはやはりゴードンのこと。劇中作での「悪い磁石」役もゴードン。ありのままの自分ではこの世界で思うように生きていくことができないことを悟った磁石が生まれ変わるために飛び降りる、というストーリーは、ゴードンが抱いていた苦悩と非常に重なるように思えた。磁石のように反発しあっていた4人の中で、悪い磁石になろうとした磁石がゴードンだった(3人にとってのOur bad magnetだった)と考えることができる。
また、3人にとってゴードンがどんな人物だったのかはそれぞれまったく異なっているけれども、名前を使わずにゴードンのことを表現できる唯一の共通の言葉が「Our Bad Magnet」なのかもしれない。
・ゴードンの死(仮)がバンドを抜けろと言われた(=3人から排除された)ことによるものなのかは厳密には語られていないので分からないけど、ただひとりの家族である父親から虐待を受けていたゴードンにとっての唯一の居場所があの3人といることだったと考えると、彼は悪い磁石になろうとした磁石と同じ行動をしたことになる。今のままの自分ではこの世界で生きていけないことを悟り、違う自分になろうとした。
・なお、この悪い磁石をゴードンの行動に文字通り重ね合わせてみると、ゴードンは死ぬためではなく新しい自分になるために飛び降りた、ということになり、実際には死んでおらず逃げたと解釈しているフレイザーの考え方もできなくはないと思う。
・ただ、「悪い磁石(=違う自分)になる」ということが「死んで生まれ変わる」ことを指していた場合、事情は異なってくる。簡単にだが調べてみたところ、スコットランドに根ざすケルト的価値観では輪廻転生の概念があるらしい。彼らの生きた時代・場所でどのくらいその価値観が浸透していたのかは分からないけど、影響があった可能性は否定できないし、そうであればゴードンはフレイザー以外が思っている通り死んだことになるかもしれない。
ちなみに現在のスコットランドで一番多い宗教はスコットランド国教会(プロテスタント)。キリスト教では自死は罪。
フレイザーが頑なにゴードンが死んだことを認めていないことから、ゴードンは身を投げた後見つかっていないであろうと推測できる。でも普通身を投げたらいくら高いところから落ちたとしてもやがて浮かんでくるものなので、ゴードンは石か何かをくくりつけて入水したと考えると、ここも磁「石」にかかっているのかもしれないと思うとぞっとした…
・そもそも変わろうとした磁石がなぜ「悪い磁石」という表現を用いたのか、日本語で考えるとあまり腑に落ちなかった。
まず、磁石は反発負荷つまり衝撃を与えると磁力を弱めることができる。
そしてBadを「悪い」と直訳せずに「質が悪い」という意味で捉えてみると、磁力の弱い磁石を指してbad magnet と言うこともできそうかも…と思った。

 

フレイザーはなぜポールやアランに責任転嫁するのか

・私個人としては、これは自分を責めていることの裏返しであって、心の奥底ではゴードンが死んだのは自分のせいだと考えているのだろうと思っている。
・逆に他の二人がゴードンの死に理由を求めないのは、ゴードンの死をそれほど重大にとらえていないからだと思う。自分のせいだとも言わないし、誰かのせいだとも言わない。
別に彼らが無責任で非情だと言うわけではなく、彼らには彼らの居場所、もっと大事なものが別にあるから相対的に重要度が下がってしまうのは仕方ないと言えなくもないと思う。
それに反してフレイザーが責任の所在に固執するのは、その責任が自分にあると心の底では思っていて、でもそれを否定したいから誰かのせいにするし、ゴードンが死んだということも信じない。
・それはなぜか。「ギグルズのことは俺が一番知ってる」と(確か)台詞にもあったように、フレイザーはゴードンを程度の差はかなりあれど親の愛情に恵まれないという似た境遇で育った仲間だと思っていたし、誰よりも近い存在だと思っていた。なのにゴードンは直接的にはフレイザーに何も言わないままでいなくなったし、物語を残していった。ゴードンが小学校に火をつける直前のシーンでも、フレイザーだけはゴードンが行動を起こすことを確信していたし誰よりも早く、爆発音が起こる前に止めに行こうと駆け出していた。
自分がもう少し早く着いていれば、それ以前に何かしてやれていれば、こんなことにはならなかったのかもしれないという後悔と自責の念に耐えることができなかったからフレイザーは大学を出た後も街に戻らず、自覚的か否かは分からないがゴードンの生まれ育ったグラスゴーに行ったのではないかなと思う。
冒頭シーンでもうすぐロンドンに行くつもりと言っていた気がするのだけど、フレイザーは10年経ってやっとゴードンの喪失から立ち直りかけていたのかもしれないなと思った。

 

ラストシーン

3人それぞれの中にある決して噛み合わず重ならない「ゴードン」像を各々ぶちまけたあとに「空の花園」のラストシーンを再現する花弁の雨。
ゴードンがどんな人間だったのかのすべては誰も知り得ないけれど、ゴードンが残した物語だけはずっと彼らの心に残り続けて行くんだなというふうに私は受け取った。
3人は妃を失った皇帝ではなく、なぜ死んだのかも知らない肉屋の娘のために暴動を起こす民衆と同じなのだなと思った。
誰も、フレイザーさえ皇帝にはなれなかった。
だからこそゴードンの死の理由も、死んでいるのか生きているのかどうかも、わからないまま幕が閉じたのではないかなと思う。

 

 

以上です。

こういうやるせなさで胸が痛くなる作品すごく好きなんですが、幼女時代からハピエン厨だったはずの私はどこへ行ってしまったのだろうか笑

叶うならば…どうかもう一度観たい…
でもフィーダシュタントで財政危機なのでちょっと考えたいと思います…

最後まで読んでくださってありがとうございました!